2001/05/30 (水)
文化は公と私の中間の領域に生まれる。
日本人の内と外
P112
(司馬)江戸の遊び文化が生まれるのは吉原だけでですね。幕府が吉原だけはうその国だとしてくれて、夜通しどよめきあっていても、またご法度に触れない限り何をしてもかまわないということになり、ありんす国というのが出来るわけです。そこで吉原分化を背負うのは、お大尽としては両替商があったり札差があったりしますけれども、お侍の中では多分に町人化した留守居役がそこでサロンを組みますね。これは決して、藩には還元してくれない文化、その人間だけが役得でそこで享受できる文化で、本当の文化ではない。ですから、結局そこから出てくるモラルというのは、B粋とか野暮とか言う非常に単純なわけ方で下町に下りてくる。/B
(山崎)近世の西洋文化のあり方と比べますと、截然(サイゼン)たる違いがあるんですね。その違いの最たるものといえば、文化と言うものが公と私との中間地帯に出来ているのが西洋です。今でも、西洋の劇場に行くと、ロイヤル・ボックスと言うものがありまして、劇場は宮廷社交の延長の場なんですね。昼間、正服を着て政治をしていた連中が、夜、寝巻きに着替える前の時間、つまりB公私の中間の時間/Bに、イブニング・ドレスをきて夕方の時間を楽しむ。それが劇場の世界であり、宴会、音楽、文学の成立する世界なんですね。いわば、半公半私の時間というものがあって、ここから文化が生まれてきます。それからもちろん教会と広場が、西洋文化の母体ですが、これもまた半公半私の空間ですね。
日本の場合は、一方では教育、読書の部分は完全に感性か去れ、いわゆる芸能の部分は、脳を例外として全部、私の世界に押し込められる。つまり、遊郭を基盤にして狂歌や音楽が生まれ、遊郭を素材として歌舞伎が生まれ、遊郭を素材および場所として多くの小説が生まれるわけですね。したがってこの世界へ行くときは、侍はほおかぶりでもして、身分を隠していかなければならないわけですね。
ところが西洋の劇場は、王様が王様の姿をして出かけられるところでした。しかも、それは宮廷そのものではないわけで、したがって、昼間のようにそこでしゃちこばっていてはいけない。ある緊張とある形式を持ちながら、しかしある程度くだけているという場所になるんです。日本の場合、今でもしゃちこばって、さようしからばの世界と、完全にくだけて四畳半で微酔低吟している世界とが、完全に切れていますね。これは江戸時代の大変な問題だという気がしているんです。
(司馬)なるほど。美術はほとんどポルノ化しますからね。浮世絵のすばらしいのはポルノで、それが江戸時代の代表的な美術になってゆくわけですからね。江戸時代ではそれを代表だとは思っていなかったけれど、明治に開国した後では、代表しされる美術になってしまう。たしかにおっしゃる通り、日本には中間がありませんね。
(山崎)私は実は、その中間の世界こそ都市文化の母体だと思うんです。田舎の世界は、知っている人とだけ付き合う世界で、知らない人間が入ってくると、追い出すかお客扱いするかの、どっちかです。都会というのは、見知らぬ人間と付き合う世界です。そう言うつきあいを成立させる場所は、人間の間に距離を置く必要があり、ある程度、公の場所の性格を持たないといけないんですね。親しいが、距離がある。逆にいえば、距離があるけれども、そこにある人間的親密感を持ちうる。人間は弱い動物ですから、工夫しないとなかなか出来ないので、そこに付き合いの作法というか、形式というか、そういうものが生まれるんですね。