2001/05/30 (水)
徒然草の価値観のゆれ
日本人の内と外
P67
(山崎)…
最近、私はそんな角度で、徒然草を読みなおして、大変面白かったんですが、徒然草は鎌倉末から室町にかけての人の作品ですね。あの中に、平安朝以来の価値観と、新しく起こってきた室町風の価値観の矛盾、葛藤がはっきり出てくるんです。
たとえば、すぐに目に付くのは、まず個人の技芸--芸の問題です。つまり才能があるということですが、これは一方では非常に強く肯定されているわけです。木登りの名人の話まで出てくるくらいで、弓矢の名人、馬の名人はもちろん一芸に秀でた人間の話が次々に出てきます。そしてその一芸に秀でるためには、努力しなければならないという思想が一方で出てきます。何事もうまくなるためには、人前では字を書いて勉強しなければならないのであって、こっそり家で勉強して、うまくなってから人前にでようなどというのは間違った考え方だ、ということすら書いてある。
ところが、そのすぐ次の章で、大体、一芸に秀でるなどというのは恥ずかしいことである。芸などというものは、ある程度出来たところで中途半端でなげうつのがいいのであって、もっといいのは、初めからなにもしないことだといっています。この後者の考え方は、明らかに、世界のどこにもある貴族文明の思想だろうと思うんです。朝鮮には最近まで残っていたそうですが、つまり、貴い人間は働いてはいけないという思想であり、芸に秀でるのは、下品なこととされていたんですね。
(司馬)下品以下の、非常に卑しいことですね。
(山崎)それと同時に面白いのは、数奇という観念が、鎌倉時代になると出てきますね。その数奇についても、当時は互いに矛盾する二つの時代思潮があったらしい。一方では、いろいろ工夫を凝らして数奇を発揮するのは卑しいことだという。考えてみると、確かに藤原時代には、春はあけぼのがいいといえば、これは普遍的な価値の表明なので、私が好きだということとは関係のない話でした。兼好法師も、家財道具を好き好んで工夫するのは見苦しいことだといい、唐物の輸入などは、薬のほかは要らないことだといっています。ところが一方では、ちょうど鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて、数奇の観念が出てくるんですね。一人ずつ違った趣向を発揮するのがよいことだという思想が生まれて、その延長線上に「婆娑羅大名」が出て来たり、さらに先にいけば「かぶき者」まで出てくるわけです。その後一貫して趣向とか数奇とか言うのは、日本人の価値観の中では肯定されるべきこととされています。そう言う意味で、少なくとも世界に肩を並べられるような完全性の観念とか、貴族的普遍性に対する信仰というのは、ほんの短い時期にしかなかったという気がするんです。