Group:=terra 未分類
Title:=「謙遜であり続ければ、やがて願いは叶う。
From :=Microsoft Access - [カード入
Create:=00/09/15 19:09
Udate :=00/09/15 19:09
「謙遜であり続ければ、やがて願いは叶う。しかもはじめは運がよくないが、晩年になって運がひらける。」
単純なことながら、そう『易経』はおしえている。
マキャベリによる、反論あり。
Group:=terra 未分類
Title:=「謙遜であり続ければ、やがて願いは叶う。
From :=Microsoft Access - [カード入
Create:=00/09/15 19:09
Udate :=00/09/15 19:09
「謙遜であり続ければ、やがて願いは叶う。しかもはじめは運がよくないが、晩年になって運がひらける。」
単純なことながら、そう『易経』はおしえている。
マキャベリによる、反論あり。
ほしいもんリスト
00/6/10
・ステッドラートリオペン
・ベンツA_type
・湖のそばの別荘(白樺湖?(^^;)、ハンモック)
・ローマ人の物語8
・ナイキのスニーカー
00/7/13
・CD PLAYER
・デジカメ 150g以下
2001/06/15 (金)
・*BEAM=3車はあんまりほしくなくなってきた
・*BEAM=3ローマ人の物語は、トンと発売がない。
・*BEAM=3デジカメもこれ以上もって歩くのは、また腱鞘炎になる。
統計学では、3パーセント程度の確率の事象は無視してもかまわないとされる。
2000/11/05 (日)
「超」整理日誌 P144 野口悠紀雄
平然と車内で化粧をする脳
00/10/30
書評評者:関川 夏央
電車の中でケイタイを大声で使う。ひとり言を言う。平然と化粧をする。そういう青年たちの神経は不思議だ。不気味でもある。
彼らは、まわりを気にしないのではなく、出来ないのだ、と脳科学者の澤口俊之はいう。
「一種の脳機能障害なんだと思います。」
なぜそうなったかという南伸坊の問いには、「しつけがなっていないから」と、当初の衝撃のわりには平凡な「オヤジ風」回答がされる。
だが、その前提となる説明が面白い。
ヒトの特徴はテオテニー(幼形成熟=幼少期の性格を保ったままで成熟し、繁殖すること)である。だから、ヒトの子供時代は異常に長いのだが、5万年前きびしい環境に進出したモンゴロイドには、ことにその傾向が強い。
念入りなテオテニーの過程で、脳の「前頭連合野」の発育を促す想定が日本にはあった。両親と大家族がいて、近所・町内があり、外側には世間が、そして世界が広がる同心円の社会構造である。
その上、脳も胃や腸と同じく臓器の一つに違いないから、日本人の脳の健康には米と魚と豆の「ものすごくフツーの和食」がよいのだが、1970年ごろ、それらはみな「古臭い、貧乏くさい、めんどくさい」とぼろ雑巾のように捨てられたのである。
その犯人は「団塊の世代」だ。
「団塊」が好んだ「欧米的生活」は成人病と閉じこもりの温床となった。「民主的意見」とはマスコミの口真似に過ぎず、「個性的教育」は単に無能でわがままな子と、まわりを気に出来ない「世間の狭い」子をもたらした。それは貧しい文化革命であった。
トヨタの倒産危機
00/10/16 読売朝刊
トヨタ博物館には1974年にボンドカーとなった2000GTが展示されている。
それはトヨタの車が一流になった時期の証明ともいえる。
しかし、その20年前、当時の豊田章一郎は社員を食わせるために、倒産の瀬戸
際でカマボコ工場の視察に出かけている。
Group:=terra 刃を研ぐ
Title:=39,専門分化
From :=カードマスターテーブル.txt(変更) -
Create:=00/07/22 19:39
Udate :=00/07/22 19:39
39,専門分化,1997/9/3 0:00:00,種の消滅はいきすぎた専門分化の結果である。
(バックミンスタラー・フラー 宇宙船「地球号」操縦マニュアル)
われわれは、馬をどんどん速く走らせて、スペシャリストとして育てることができる。そのためには、二匹の速い馬をつがわせて、同系交配をする。ある種の遺伝子を集中させることで、その優秀性が現われる確率は増加する。しかし、そうすることによって一般的な適応性は、退化するか、犠牲にされてしまう。同系交配と専門分化は、常に一般的な適応性を殺してしまうのだ。
宇宙におけるエネルギーには主要なパターンがあって、宇宙のどんな場所でも、
地震などのようなたいへん大がかりな事件の起こる度数は、小規模のエネルギーの変動の度数に比べると、はるかに少ないというパターンである。地球上では、昆虫の生まれる回数は地震よりもはるかに多いのである。しかし、全体を通じて展開してゆく変動のパターンの動きを見ていると、無数の低エネルギーの変動のただなかに、ときどき大がかりなエネルギーの変動が起こるときがあって、その変動があまりに破壊的な場合には、超専門分化した生物は、一般的な適応性がないために、死滅してしまうのである。実際に起こった典型的な例をひとつあげよう。海にすむ小動物の特殊な種類を食べて生きていたある種の鳥の話である。
この鳥は、飛び回っているうちに、その特殊な海生物がとりわけ集まり安い場所がいくつかあることに気がついた。決まった土地の決まった海岸に接した大沼地などである。そこで問題の海生物を偶然見つけるために当てもなく飛び回る代わりに、その鳥たちは、餌の集まっている入り江近くの沼地に移った。やがて、地球の極地の氷塊が増加し始めたために、沼地の水が退き始めた。沼地の穴に深く口をつっこんで海生物をとることができたのは、長い長いくちばしを持った鳥だけだった。短い嘴の短い鳥は死に絶えた。このために、長い嘴を持った鳥だけが生き残ったのである。鳥の生来の生殖本能が起きたとき、つがう相手には、ほかの長い嘴の持ち主しかいなかったので、その結果、長い嘴の遺伝子が強まっていった。水は絶えず後退し続け、鳥は幾世代にもわたって同系交配を繰り返したので、ますます嘴の長い鳥が生まれた。水はさらに後退をやめず、その鳥の嘴は世代を重ねる事に大きくなっていった。長い嘴の持ち主たちが繁栄をつかめたとみえたとき、突然、沼地で大火事が起きた。ところが、この鳥は嘴が余りに大きくなっていたために、もはや飛ぶことができないことがわかったのである。鳥たちは沼地を飛び去って火を逃れることができなかった。逃げるには余りに遅く、足でよたよた歩きをするばかりで、この鳥は死滅してしまった。これは、専門分化の過剰のために消滅の起こる典型的な過程である。
−−−−−−−−
ここで、このような専門分化の過剰のために起こる死滅というものを阻止する方法がないかどうかを考えてみよう。専門分化などはじめからしなければいいのだという論理も成り立つが、その問題については別の展開にゆずるとして、上の例にしたがって、どのポイントが死滅へのターニングポイントであったか、そしてそれを裂けるためにはどうすればよかったかを考えてみたい。,96/3/11,,,,,,,,自分学
Group:=terra 刃を研ぐ
Title:=11,家について,1997/9/3 0:00:00,家について
From :=カードマスターテーブル.txt - WZ EDI
Create:=00/07/22 19:31
Udate :=00/07/22 19:31
11,家について,1997/9/3 0:00:00,家について(明治百年 サンケイ新聞 昭和43年1月3日 「歴史と小説」
我々の民法がそれを証明している。戦前の「家」がなくなり、別な概念が出来上がった。田舎から東京、大阪へ出てきて、月給の4万円もとるようになれば、その当たりの女の子と結婚し、団地にすみ、子を生む。それでもう、家である。
戦前の家がもっていた重厚な伝統と美意識などなく、いかにも手軽で、薄っぺらくて、いかにもインスタントである。そのインスタント家庭の集まりが今日の日本の社会であり、日本国そのものであり、我々がこの社会やこの国を振り返るときインスタントの気安さをありがたがりつつも我ながら薄っぺらく、わびしく、さむざむしく、ありがたみがなさそうに思えるのはそれであろう。
これが現実である。
私は何も過去を賛美し、あの重苦しい旧民法的「家」を礼讃し、あの身の毛もよだつような部分を持つ家族制度の復活と企もうとしているのではない。ただ、過去の人間は深い穴蔵から出てきたことをいっている。その穴蔵には歴史と伝統と秩序と精神美があり、そこから出てくる人間の骨髄に染み込んでいる。それはその秩序に随順しようと、その秩序美に血みどろになって反逆しようと、反逆に価するだけの実容量があり、今の家や社会にはそれがない。浅っぽい穴ぐらから我々が出てくる為に、例えば政治家になればあのように恥がなく、選挙民になれば恥じらいもなく政治家にたかる。しかも日本人でありながら日本人であることを軽蔑してしかこの社会に生きられない。
どうすればよいか。
ということをいっているのではない。これが明治100年の現実であると言っている。今後の日本人の課題としては、この人類史上稀有の一枚張りの大衆社会(むろんそれは世界に誇るにたる)を混乱から救い、秩序を確立し、秩序美をつくり、それを精神にまで高め、かつて江戸期の日本人がついに見事な美的精神像を創り上げたと同様の努力と作業をしてゆくべきであろう。
,サンケイ新聞,昭和43年1月3日,新聞,,家族,司馬遼太郎,,家族について,歴史
Group:=terra 建築
Title:=貫を使った構造計算
From :=WorkPad 版 Palm Desktop
Create:=00/08/26 10:16
Udate :=00/08/26 10:16
貫を使った構造計算
00/6/14
・稲山理論によって構造計算にのせられるようになっている。
・p121
Group:=terra 建築
Title:=日の丸と国歌 99/6/25 8:47
From :=C:\My Documents\TXT\notepa
Create:=00/09/15 14:19
Udate :=00/09/15 14:19
... 日の丸と国歌 99/6/25 8:47
日の丸が国の象徴として意識的に使われたのは、明示維新当時の薩摩藩が最初であったという。
君が代についても国歌制定の特別な処置はなく、法制化はされてこなかった。
多民族国家であるアメリカでは、国歌と国旗は特別の配慮を払われている。
当然、単なる居住地域以上の意味合いを持たせようとするなら、そのシンボルを尊重し、その元に結集を図ろうとする。
日本に国歌と国旗が少なくともこの50年必要なかったのは、この前の戦争の問題も無論あるが、国としてまとまる必要がなかったからに過ぎない。
冷戦時代には、どちらかの旗の下に立っていればよかった(こう、のんきに考えていたのも日本だけ、という情けない話はあるにしても)少なくとも、国民もアジアの人たちも、日本が国旗の下に極端に集中することを望まなかったし、幻影におびえて、もいた。
これは戦争に負けた、勝ったという話ではなく、国民性として、今後もアジアの中で、厄介だ、と思われるのは、ベトナムと日本ではないか。(こういうと、ベトナムの人に怒られそうだけど)