平然と車内で化粧をする脳
00/10/30
書評評者:関川 夏央
電車の中でケイタイを大声で使う。ひとり言を言う。平然と化粧をする。そういう青年たちの神経は不思議だ。不気味でもある。
彼らは、まわりを気にしないのではなく、出来ないのだ、と脳科学者の澤口俊之はいう。
「一種の脳機能障害なんだと思います。」
なぜそうなったかという南伸坊の問いには、「しつけがなっていないから」と、当初の衝撃のわりには平凡な「オヤジ風」回答がされる。
だが、その前提となる説明が面白い。
ヒトの特徴はテオテニー(幼形成熟=幼少期の性格を保ったままで成熟し、繁殖すること)である。だから、ヒトの子供時代は異常に長いのだが、5万年前きびしい環境に進出したモンゴロイドには、ことにその傾向が強い。
念入りなテオテニーの過程で、脳の「前頭連合野」の発育を促す想定が日本にはあった。両親と大家族がいて、近所・町内があり、外側には世間が、そして世界が広がる同心円の社会構造である。
その上、脳も胃や腸と同じく臓器の一つに違いないから、日本人の脳の健康には米と魚と豆の「ものすごくフツーの和食」がよいのだが、1970年ごろ、それらはみな「古臭い、貧乏くさい、めんどくさい」とぼろ雑巾のように捨てられたのである。
その犯人は「団塊の世代」だ。
「団塊」が好んだ「欧米的生活」は成人病と閉じこもりの温床となった。「民主的意見」とはマスコミの口真似に過ぎず、「個性的教育」は単に無能でわがままな子と、まわりを気に出来ない「世間の狭い」子をもたらした。それは貧しい文化革命であった。