2001/06/13 (水)
標準体重
身長(m)^2×22
2001/06/11 (月)
高々とした気持ちを持ち、
高々とした気持ちとはなにか。
高い理想、人や時代に影響されない、普遍的な思い。
どちらかといえば世界や社会を大上段に言い募ることではなく、己がいかに生きるかを見つめていることと思う。
なにも考えずに生きることはできる。日々の暮らしについてだけ、ただ、こまごまと思い至り、損をしないように、馬鹿にされないようにと思案を重ねる。
大坂教育大学付属池田小学校 23人死傷
2001/06/09 (土)
小学校の1,2年生の子供が包丁で刺され、そのうちの8人がなくなった。
何たるばかげたこと!!
舜と同級生である。精神安定剤で錯乱とあるが、それならそれで極刑でもよかろう。
教室内を逃げ惑う子供たちの気持ちと、まったく意味もなく子供を失った親御さんの悲しみを思うとやりきれない。こういう人間のことをなんと呼ぶのか。人でなし、人非人、外道。
37歳という年齢は、昭和38年生まれ、同世代といってもいい。20歳のときにはバブルの真っ最中という世代である。別れた妻を困らせたかったと言う。行動の脈絡のなさもさることながら、理由が幼稚、かつ利己的。
老人はいたわるべきのもか?
2001/06/06 (水)
かつて儒教の徳目の中の大きな物として、『孝』というのがあった。親孝行の孝である。『孝』の重要さは、親がなくなる共に服するとして、官職を投げ出させてしまうような圧力があったということにも現れている。科挙試験にうかり、ようやく手に入れた官職を親が死ねば、放り出さなければ、「不孝者』として白い目で見られるのである。人間として、基本的なものが欠けている、とされた。
戦後、一転、親孝行なる言葉の重みが徹底的に軽くなった。同居することすらが嫌われ、ジジ付、ババ付が最悪の条件となった。あげく、臭うとまでいわれることすらある。老醜の漢字が聞き間違いのような気もするが…
代わって、老人だからいたわれという。シルバーシートは、老人と体の不自由な人のための席である。年をとる事は、障害を持つことと同等なのだ。
なにかおかしい。
戦前の家族制度への嫌悪感もあるだろう。核家族化し、身近に年寄りがいなくなっていることも大きい。家族が、老人のスペースをまったく持っていない。
一方、美しくない老人も多すぎる。
2001/06/05 (火)
日本人は無宗教か
やっていることが、いきなり『道』になってしまう。その時間的短さ。
清らかな場所であれば、神が宿ると考える伝統的なセンス。
世界を統一する原理に興味はないが、別の合理性を持つ。
001/06/04 (月)
玉の輿戦略
MINE
人は幸せになるために生きている。そのための戦略には、男と女で決定的な違いがある。
5代将軍綱吉の生母、高台院は八百屋の娘であったという。江戸時代の身分制度からいえば、破格の玉の輿である。江戸時代は一般的に『士農工商』で言われるほど、身分固定的な社会ではなかったという報告があるが、いずれにしても、一介の商人の娘が、最高権力者の母になり、その政治にも影響?を与えたのは間違いない。
むろん、高台院に娘時代から、戦略などなかったであろう。あったのは、だぶん、恐ろしいくらいの美貌と幸運だけだろう。しかし、いったんその可能性が出てきた以上、戦術的な誤りはほとんど犯していないように思える。
また、常識的な判断として、きわめて高度な教育を高大院は受けていたと思えず、さらに何らかの手引書があったとも思えない。数十人、下手をすると3桁の人数による競争を勝ち抜けたのは、ひとえに天性の利発さゆえであった。
女にとって、玉の輿戦略、そしてそれにしたがったここの戦術というのは、ほとんど遺伝子に刻印されたようになじみのある戦略なのだ、
現在の高校生の意識調査によれば、男女を問わず、「幸せな家庭」を築きたいが上位に踊る。これは、今の暮らしがどんなに飛んでいようと、『幸せな家庭』をきづきさえすれば、個人としても『しあわせ』になれると考える10代が厳然と存在することを示している。援交をしていようが、すぐマジ切れしようがそんなことは問題ない。
このことはさらに、現在の10代が女性的な『一発逆転』玉の輿戦略の思想にひきづられていることを示しているともいえる。ある瞬間から、それまでの一切の過去に決別して、いきなり、『しあわせ』になる、あるいはなることができるというのがその戦略の際立った特徴だからである。ここにも、能力も経験も関係ないという基本性質がほのみえる。
今までの暮らし、今の暮らしがどんなに平凡であろうと、あるいは惨めなものであろうと、明日現れるかもしれない王子様によって一瞬のうちに運命が変わる。これがたとえ1%でも現実として起こっているとなれば、それを期待しない人間は人間ではない。
1%の1000分の一にしかならない期待で、人は宝くじを買うのである。
したがって、ここでは、能力、経験は問われない。
むろん、下半身に常識はないので、ルールもない。
2001/06/03 (日)
敗因を調べ、そして、忘れる。
大山康晴15世名人
勝った将棋の検討(反省)は、とくにはしないそうである。敗局についてだけ、それをやる。自宅で盤の上に並べなおし、徹底的にやるそうである。
どの手が悪かったのか。敗因は結局、どれであったのか。そうだ、ここはこう指すのが正しかった・・・というふうに、根掘り葉掘りという態度で調べ上げる。
調べ上げて敗因をつきとめ、『よし、わかった!』となる。
肝心なのは、ここである。『よし、わかった!』と見定めたら、その時点でその敗局のことは、きれいさっぱり、スカッと忘れてしまうのだそうである。二度とその将棋のことは思わない、という。
この『忘れる』ということをやらないと、前向きな姿勢は真に湧いて来ず、従って、せっかくの敗戦が薬として、将来に生きてくることも少ないという。「忘れるから前進できる」というこの命題、どの職業にもどの人生にも、適用できるものであろう。
2009/11/27
本当に完全に忘れてしまいそうで、怖い。
2001/06/03 (日)
命もいらず、名もいらず、
西郷隆盛
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業はなし得られぬなり。
2001/06/03 (日)
弁解せず
『「潔く」いきる』櫻木健古
弁解は武装したうそである。
「自分の非を認める』などは、むしろ当然のことで、自分の非ではないのに誤らなくてはならないことがある。
「弁解せず」この言葉が私は好きである。男の美学の必須条件、とまでも思うのである。それは、人から理解されないという孤独に耐える強さでもある。
2001/06/03 (日)
福岡市 檜原桜(ひばるざくら)
6/1読売新聞 編集手帳
旧聞をお許しいただきたい。
この春、團伊久磨さんが福岡市内の桧原桜の花見を楽しんだという話だ。
満開の桜に「しみじみとしたご様子でした」と地元のいわば「花守り」の一人土居善胤さん(73)から聞いた。
17年前、道路拡張で8本の桜が伐採されることになった。
「花あわれせめてあと二旬ついの開花をゆるし給え」
と、短冊が桜の枝にかけられて、のちに詠み人は土居さんとわかる。
それに当時の進藤一馬市長(故人)が短冊で歌を返した。
「桜花惜しむ大和心のうるわしやとわに匂わん花の心は」
かくて守られた檜原桜のことは團伊久磨氏のエッセー(パイプのけむり)で、広く世に知られることになる。
「人間が人間を信じる英知に満ちたコミュニケーションの見事な開花」
「檜原の灌漑用の水面には、」と、あのエッセーは結んでいる。「この小さな、然し、美しい心の歴史が、いつまでも、春の廻る度に、絢爛と咲きにおう満開の桜と共に移ることになると思う」