自活のはかりごとに追われる動物,1997/9/3 0:00:00,
自活のはかりごとに追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、まさに相撲のごとく苦しいものである。吾等は平和なる家庭の主人として、少なくとも衣食の満足を、吾等と吾等の妻子とに与えんがために、この相撲に等しいほどの緊張に甘んじて、日々自己と世間との間に、互殺の平和を見出そうと努めつつある。戸外に出て笑う我が顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの内に殺伐の気に満ちた我を見出すならば、さらにこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、背の汗を想像するならば、最後に我が必死の努力の、回向院のそれの様に、一分足らずで引き分けを期する望みもなく、命のあらん限りは一生続かなければならないという苦しい事実の思い至るならば、われらは精神衰弱に陥るべき極度に、我が精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあると迄言いたくなる。
かく単に自営自活の立場に立って見渡した世の中はことごとく悉く敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引き伸ばすならば、朋友もある意味において敵であるし、妻子もある意味において敵である。そう思う自分さえ日に何度なく自分の敵になりつつある。疲れてもやめ得ぬ戦いを持続しながら、けい然として独りその間に老いるものは、惨めと評するより他に評しようがない。,,,書籍,このカードのみ,互殺の平和,夏目漱石,,,