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Title:=12,白石と松陰の場合−−その態度について,1
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Create:=00/07/22 19:33
Udate :=00/07/22 19:33
12,白石と松陰の場合−−その態度について,1997/9/3 0:00:00,白石と松陰の場合−−その態度について (「季刊芸術」昭和44年7月)
学問というのは、態度なのである。
白石と松陰のことを考えて、それを書きながらこの項の結論を得ようと思って右のように書いてきたが、結論は別に言う間でもないであろう。
明治以前における最大の人文科学者の一人である新井白石は、その学問はほとんど独学によって得た。師匠についたのは、ある程度の学者になってから木下順庵の門をたたいてその客分のようにして入門した程度である。
松陰も、学校教育を経ることなくしてその教養を深め、思想を醇化し、しかも独学者流の独善的偏狭さやくさみなどは一切なしに自分を成長させることに成功した。この両人に共通しているのは知的好奇心の強烈さと、観察力の的確さと、思考力の柔軟さであり、その結果として文章表現がじつに明晰であったということである。さらにいえることは、両人とも学問を受け入れて自分の中で育てるということについても良質な態度を、天性なのかどうか、みごとにもっていた。
学校教育のという場は、学問にとって必要ないというのは暴論だが、しかし彼らがもっていたこの態度を持たずに学校教育の場にまぎれこんでもそれは無意味であり、逆に学校教育の場から離れた場所に身をおいていても、この態度さえあれば学問(その種類にもよるが)は十分にできるという例証になりうるのではないか。,季刊芸術,昭和44年7月,,,,,教育論,,教育