成果意欲を保証するものは何か。,1997/9/3 0:00:00,
成果意欲の湧かないことを他人のせいにすることは間違っている。どんなに高度な目標を掲げたところで(そうでなければ、「目標」とは呼べないという意味で )個々の人間が日々活動する内容は、目標が目標たる与件を備えていればいるほど、己自身が解釈し、創造する必要があるのは自明である。それをわかったうえでなお、「上がアホやから、野球がでけん」というのは、単に責任を自分以外の誰かに、委ねてくだを巻くことにしかならない。
とはいえ、組織が階層をなして存在するものである以上、個人全体を意味しないまでもさまざまなレベルで「ぶら下がり」は生まれる。自己矛盾、である。一方では、あらゆる拘束からの自由を希求し、何事も己で決めたいとわめきつつ、「それを決めてくれない、あんたのせいだ」と口にしてはばからない、愚かしさ。それは、怠惰と呼ぶべきか。それは、弱さと呼ぶべきか。…
人は、本来的には「アホ」ではないので、そんな事は分かっている。十分にわかったうえで、なお「これは俺の仕事ではない」といっている。少し考えれば、すぐに分かるし、気づきもする。ただ、自分の領域を勝手に決めているだけである。
実体的に、かなり組織化された集団の中にあっても、領域が明瞭でないことが一般的な組織の特色である。領域が明確、または明快である組織は、逆にいえば、すでにその組織体の生命がつきつつあることを示していることに他ならない。組織成長する最中では、その構成要素が担うべき役割は弾力性に富み、状況に対応して、伸びたり縮んだりしているはずである。変化への対応が否も応もなく、それを求めているし、成長の圧力は、分担など頓着しない。
だから、本来必要なものは、組織に対する「帰属」意識だけである。けっして「規則」ではない。「帰属」する組織が危機を迎えるとき、人はだれでも防衛しようとする。能力の如何に関わらず。,,,思い付き,,帰属意識,,,,その他