2001/05/30 (水)
一神教とは違う、もう一つの合理性のタイプがある。
日本人の内と外
山崎正和
(山崎)問題のありかを明らかにするために、比較的、歴氏を一貫した日本の特質を数えますと、まず異質文化への好奇心が上げられますね。それからもう一つは、自分の生活を毎日よくしようということの関心、広い意味の進歩主義というか、とにかく生活が変わることに対して楽観的であるということです。これは中国人にもインド人にもアラブ人にもなかったようですね。したがって、当然、技術革新とか国債貿易ということに、直ちにつながっていく特性ですね。
それからたしかに日本人は一方では、数の子みたいな群居性を持っていますけれども、その反面、個物への関心が裏にあるために、趣味ということがかなり問題になって、同時にそれが技術尊重おの精神に結びついて、半分だけですけれども、近代個人主義につながる要素がある。それから商業道徳というものがかなり早い時期に生まれていて、商売人は本質的にうそをつかない人間と考える風潮がある。
(司馬)これは非常に澄んだものですね。
(山崎)こういう要素を重ねていきますと、日本人はまず7割くらい西洋人です。島も近代の西洋人だといえる。ところが実際には、西洋人を大きな違いがあるのは当然で、まず、一神教というのは、日本人はまったくわからない。Bある一つの原理からすべてを説明するというようなことは、どうでもいいと思う国民です。/Bしかし、それじゃ合理的でないかというと、そうでもなくて、B合理主義にももう一つのタイプがある/Bわけですね。つまり、一つのものと別のものとに共通の要素を見出して、そこに二つだけの間の共通の原理を見出す。三つ目が出てくると、この三つ目を加えてまたその共通の原理を広げ、四つ目、五つ目とだんだん広げていく。そしてこの範囲だけは合理的に理解できるわけです。しかし、世界の全体がどうなっているか、ということはわからないし、また問題にもしない。日本人にはこういう風な合理主義があるので、事実、その合理主義で17世紀の西洋人がかなりへこまされたわけです。
もう一つ、日本がぜんぜんだめなのは、国際進出で、木曜島のダイヴァーでも、残った日本人というのは、常に暗い海を眺めてひとりさびしくなにやら分けのわからないことを考えている。