2001/05/30 (水)
日本人はすぐに「鉄屋」「綿屋」になってしまう。
日本人の内と外 P127
(司馬)今おっしゃった中国人観は面白いですね。かつての華僑は、今の華僑も大部分そうでしょうけれども、よく言えば商人の本道に立っている、悪く言えば、そんなにお金儲けだが仕事では、人生の面白みに欠けるんじゃないかと言いたくなるところがある。…要するに金融と相場が中心で、それが出来ない人は商品の薄いところへ、他の土地から持っていくという形の商業です。ですから、あつかう品物に好みがないわけですね。日本人には、俺は鉄は嫌いだが、綿は好きだと言うところがあるでしょう。
(山崎)そうなんです。それは非常に面白いことだと思うんです。私は、なぜ日本人には外国の文物に対する好奇心があって、中国人にはなかったのかということを長年考えていたんですが、ひょっとすると、外国の文物ということを棚に上げても、およそ具体的なもの、個々のものに対する愛着というのは、中国人にはなかったのかもしれませんね。
俺は鉄は嫌いだけれも綿は好きだという、不可解な個物への執着、あるいはそれを扱うための技術への執着、そういうものがなくて、常に不変的な価値である金のようなものにひかれるのが中国人なんでしょうね。
(司馬)私には唐以後の中国人について多少偏頗(ヘンハ)な見方が前からあって、つまりは好奇心の薄さというところに置き換えて論じても、論じられるように思ったりします。
(山崎)好奇心というのは、結局、個物に対する好奇心でしかありえないですね。個物に対して普遍というものを見てしまった民族は、どのみち好奇心を持ちようがない。
(山崎)持ちようがないでしょうね。日本では、普遍性の高い文明といったところで、中国文明をきらきらしたかけらとして受け入れているだけで、文明のシステムごと受け入れたことがないのですから、倭寇貿易でも、海賊が書物を仕入れに乗り出していくというような、考えられないことをやりますね。
2009/11/27
型枠の中にぐちゃまぜにした石灰と砂利と水を流し込んで、それでは作業性が悪いから、減水剤とかエアーフローを考慮しましたとかいうより、きっぱり、線材で鉄骨で作る方がカッコイイや、と思っています。で、ガウディは苦手で、ミースが好きなんです。