001/05/30 (水)
日本人の大衆社会は500年の伝統がある。
日本人の内と外
山崎正和
(山崎)日本人は、大きく国際進出をすることと、一神教の理解という決定的な二つの点については欠けている。しかし、7割まではある種の西洋人だといえる。しかも、日本人はまねばかりしていたかというとそうでもない。私は一つだけ、はっきりと日本人が創り出したものがあると思うんです。それは、大衆社会です。
(司馬)ええ。
(山崎)大衆社会の条件といえば、まず教育程度の高さ--最高の高さではなくて最低の高さですが--これはまず間違いのないところです。同時に教養と趣味について、基本的に上から下まで等質です。上のほうで連歌会をすれば、庶民が花のもとの連歌会をやるということですね。月並みの俳句は、その辺の長屋でもやっていた。これは大きなことだと思うんです。このわれわれの大衆社会は振り返ってみるとと、ほぼ500年の伝統がある。
(司馬)そうですね。室町時代から500年の歴史ですね。
(山崎)小学校教育についていえば、250年から300年の伝統があるし、往来物の普及から言えば、16世紀以来です。
(司馬)恐らく江戸後期の寺子屋が採用していた教科書の発行部数は、ほんとかと思うくらい、ものすごいものですね。しかも、そのときの教育は今のように、高等学校から大学へ行けという一種の追い立ての教育じゃなくて、「これだけ覚えとかなきゃ八百屋をやるにも不自由だよ」ということで始まった教育ですから、本物なんですね。
(山崎)この大衆社会は、大正時代に花と咲いて昭和の初期まで進み、戦争でちょっと頭を打つんですけれども、戦後またこれを引き継いで、結局、それで今日の経済的成長を遂げている。