Title:=仏陀のおしえ
From :=WorkPad 版 Palm Desktop
Create:=00/08/26 10:24
Udate :=00/08/26 10:24
仏陀のおしえ
00/6/28
津本陽 「弥陀の橋は」 読売朝刊
・…釈迦の教えが人知で覚り得ない真理を、神によって明らかにされた、絶対に侵すべからざる啓示ではなく、人間社会を直視する「如実知見」によって、苦の本質を見極めたものであることを学んだ。
苦は私を苦しめている外部の事情ではない。自己中心の我執、煩悩がつくりだしているのである。我執、煩悩は自分(我)と縁者(我所)にとって、欲しいものに貪欲を燃やし、きらいなものを排する瞋恚(シンニ)をうみだす。
私に迎合する意見を受け入れ、私を批判する意見を排する、道理を明らかにしない愚痴によって動く人間同士が、勝手な言い分を通そうとして、さまざまな争いを生み出す。
こうして考えて見れば、我々が苦と考えているものの実体はない。我執、煩悩がつくり出した悪夢のなかであいあらそっている。
しかし、煩悩を押さえ付け、食欲、性欲などの本能を抹消すれば、人間は生きてゆけない。本能が煩悩となり、苦を導き出すのは、無知(無明)のためである。
人間はさまざまな要素が互いにつながりあった複雑な現象の中で暮らしている。一つの要素だけでは存在できず、多数のものが互いに関係して生きている。
それが縁起である。これあるゆえに、かれあり、これなきゆえに、かれなし、というように、地上すべてのものは縁起によって存在している。
その為、永久に変わることのない自分というようなものはなく、それを無我といい、その状態を無常という。
そのような人間の実態を見れば、我執は消えうせ、我執をとりのぞき、物事を判断できる能力が般若(知恵)で、仏は般若を得たものである。