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Title:=56,ロシアの恐怖,1997/9/3
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Create:=00/07/22 19:43
Udate :=00/07/22 19:43
56,ロシアの恐怖,1997/9/3 0:00:00,ロシアへの恐怖
日露戦争がなぜ起こったのかは教科書にまかせるとして、基本的には朝鮮半島をめぐる国際紛争でした。
朝鮮半島については、当時の日本の国防論では地理的な形態としてわが列島の脇腹に突きつけられた刃だと思っていた。その朝鮮にたいし、すでに洋務運動に目覚め近代化しつつある清国が、宗主国としていろいろ介入し始めた。日本はこれが怖かったのです。そして日清戦争を起こす。日本の勝利で、清朝は一応朝鮮から手をひきました。そこへ、真空地帯に空気が入ってくるようにしてロシアが朝鮮に入ってくる。ロシアは、まるで新天地を見出したかの如き振る舞いで、それがやはり日本にとっては恐怖でした。結局、ロシアを追っ払うためにいろいろなプロセスを経た後戦争になってしまう。
いまから思えば、その後の日本の近代は、朝鮮半島を意識しすぎたために、基本的な過ちを犯していくことになります。この20世紀初頭に、朝鮮半島など打ち捨てて置けば良かったという意見も有り得ます。海軍力さえ充実しておけば、朝鮮半島がロシアになったところで、そんなに恐ろしい刃ではなかったかもしれない。しかし、当時の人間の地勢学的感覚は、いまでは想像できないのですが、もう怖くて怖くてしかたがなかった。ここを思いやってやらないと明治というのはわかりにくい。
例えば、日露戦争をしないという選択肢も有り得たと思います。しかし、ではロシアがずるずると朝鮮半島に進出し、日本の目の前まで来て、ついに日本におよんでも尚我慢(戦争しないこと)ができるものなのか。もし我慢するとすれば国民的元気というものがなくなるのではないか。これがなくなると、国家は消滅してしまうのではないか。今なら消滅してもいいという考え方が有り得るでしょうが。当時は国民国家を持って30余年経ったばかりなのです。
新品の国民だけに、自分と国家のかかわり以外に自分を考えにくかった。だから明治の情況では、日露戦争は祖国防衛戦争だったといえるでしょう。
軍事的教養のない日本の知識人
このように国内機関(いわゆる軍部)が積み上げていく積木が、時代の気分の肯定を受けなかったとはいえず、批判や冷静な意見は常に小声でした。歴代の内閣は、国家の運営に万全の急き兄を持つという権能を威厳を失っており、昭和10年代には、軍部の気分に乗ることが−−−幻想を共有することが−−−愛国だと思われるようになったのは、知性の敗北などと戦後の論評者は言いますが、知性という抽象的なことよりも具体的には、世間の人々−−−ノモンハンの小松原中将まで含めて−−−が軍事という具体性の中から、内外を見ようとはしなかったからでしょう。
”子供”が積んでいく積木を、いいトシをした大人達が感心をしたり、当惑をしたりしながら、賛美したり追認したりするうちに、戦争の規模は拡大して、仏印に進駐し、そのことによって、ヨーロッパの既得権に挑戦することになります。”大東亜共栄圏”などとは、むろん美名です。自国を滅ぼす可能性の高い賭けを、アジア諸国のために行うということ−−つまり、身を滅ぼして仁を為すような−−酔狂な国家思想は、日本を含めて過去においてどの国ももったことが有りません。かといって、当時の人達は、日本は帝国主義とは思っていなかったのです。このあたり、実にあいまいに考えていました。考えを深めようにも、事態が事態を生んで、そのころはたれもが多忙でした。いまからみれば滑稽だし、自他の死者達のことを思うと、心がいたみます。
その積木が「ハル・ノート」によって、自壊か、積木の継続かを迫られたのです。それは太平洋戦争開戦(1941年12月8日)の前の月の26日に提示されました。
アメリカは1931年以降10年間の日本の中国大陸(当然ながら”満州”を含む)での一切の行動を否定し、擁立した政権はこれを認めず、大陸から兵を引け、という。
「じゃ、そうしよう」
といえば、日本という国家はつぶれたでしょう。昭和初年以来、異常な膨張についての政府説明を信じてきた国民は、国家そのものを信じなくなります。軍は反乱をおこして、政府要人を殺すでしょう。だけでなく、より異常な極右政権をつくり、対米戦をやるでしょう。
「ハル・ノート」は、対日最後通牒とみてよく、事実上の果たし状でした。当時の国家間のことは、戦後のやくざ映画に似ていますな。
その頃のアメリカの新聞読者からみれば、日本は中国をいじめる途方もない悪者ですが、日本の新聞読者からみれば、日中戦争は”聖戦”でしたし、アメリカは憎むべき大悪党だったことになります。4年後の敗戦によって、日本国民は、日本そのものが、日本史に類を見ない非日本的な勢力によって”占領”されていたことに気付くのですが、1941年当時は政府を信じていました。
明治後の日本人ほど政府を信じてきた国民はいないに相違ありません。少なくとも明治20年代以後、日本政府は、国民に信じられることによって成立していました。明治20年代以後の日本人は、じつに国家や政府を信用していました。国家や政府が過ちを犯すことはないとどこかで信じていました。これが近代化を遂げられた最大の理由だと思います。その日本近代の国民的な習性を、軍部その他の勢力が、うまく利用して亡国に追い込んでいったのです。むろん、軍部としても、それが愛国だと思っていたのですが。,司馬遼太郎,,,,愛国の意味,仕方のない戦争,,,歴史