ダウンサイジングについて,1997/9/3 0:00:00,
現状の規模であれば、一人で設計、積算までの一貫業務が可能である。
設計単価、などの時間的な変化についての技術部などのフォローが必要。
OA化は、基本的には技術の実践担当者が自らやるべきで、オペレーターがやるという業務自体は無駄。
オペレーターが入力作業を行って効率的といえるのは、集約された「結果」のデータを定型フォーマットに再入力する場合だけで、技術実践の現場での入力作業のほとんどは作業の「過程」ないしは「仮定」と考えるべきで入力作業と同時平行的に「質」的な作業が行われていると考えるべきである。
その意味では技術上の入力業務を業務担当者以外のオペレーターが行うことは「質」向上のタイミングをわざわざ、分断させていることにほかならない。
ソフトの性能の向上で入力作業だけでなく、ここの末端の作業を組み立てながら(一定のシュミレーションをしながら)全体を形成していくことができるような業務が取れるようになってきている。
そのことはかつてのように機械化が全体の構成やシステムを全て「事前に」想定設計し、その想定通りに運用されるという形態を否定している。
設計者としては単に図面が書けるというレベルではなく、書いた図面が直ちにどのような生産コストと生産手法になるかということがリアルタイムにフィードバックされるということが必要である。
今まではその様なフィードバックは「長年の経験」で次第次第に本人の中に蓄積されるということが一般の常識であり、それゆえにその様なことを一人の人間にやらせること自体、土台無理であると考えられてきたし、技術者教育の体制そのものがその様な志向性を示していない。
むしろ、技術を細分化し、分業化を進めること自体が、すなわち技術の高度化であるという認識が無意識の上に働いている。
しかし、一方、その場に働くものの意識としては「一まとまり」の仕事を責任を持って分担させるということが、個々人のやる気や積極性を引き出す上で必要不可欠であり、ここで問題になるのは「一まとまり」の単位が過去からいわれている範囲そのままであるか、と言う点である。
最近の流行言葉である「ダウンサイジング」とは、その様な「一まとまり」だと考えられていた仕事の範囲を現状に即してもっとダイナミックに見直していこうとする運動にほかならない。
「ダウンサイジング」が同時に業務のOA化を意味しているのは「一まとまり」と考えうる仕事の範囲を規定する作業効率(能力と考えてもよい)が電算化を通じての拡張が発生しているからであるとも考えられる。
つまり、電算化が個人能力の拡張器(アクセレーター)として機能しうるということである。むろん、その場合には使用されるハードとソフトが少なくとも「足手まとい」にならない程度に「軽快に動く」ことが前提であることは言うまでもない。,,,思い付き,このカードのみ,パソコンを使う,,,,パソコン