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Title:=11,家について,1997/9/3 0:00:00,家について
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11,家について,1997/9/3 0:00:00,家について(明治百年 サンケイ新聞 昭和43年1月3日 「歴史と小説」
我々の民法がそれを証明している。戦前の「家」がなくなり、別な概念が出来上がった。田舎から東京、大阪へ出てきて、月給の4万円もとるようになれば、その当たりの女の子と結婚し、団地にすみ、子を生む。それでもう、家である。
戦前の家がもっていた重厚な伝統と美意識などなく、いかにも手軽で、薄っぺらくて、いかにもインスタントである。そのインスタント家庭の集まりが今日の日本の社会であり、日本国そのものであり、我々がこの社会やこの国を振り返るときインスタントの気安さをありがたがりつつも我ながら薄っぺらく、わびしく、さむざむしく、ありがたみがなさそうに思えるのはそれであろう。
これが現実である。
私は何も過去を賛美し、あの重苦しい旧民法的「家」を礼讃し、あの身の毛もよだつような部分を持つ家族制度の復活と企もうとしているのではない。ただ、過去の人間は深い穴蔵から出てきたことをいっている。その穴蔵には歴史と伝統と秩序と精神美があり、そこから出てくる人間の骨髄に染み込んでいる。それはその秩序に随順しようと、その秩序美に血みどろになって反逆しようと、反逆に価するだけの実容量があり、今の家や社会にはそれがない。浅っぽい穴ぐらから我々が出てくる為に、例えば政治家になればあのように恥がなく、選挙民になれば恥じらいもなく政治家にたかる。しかも日本人でありながら日本人であることを軽蔑してしかこの社会に生きられない。
どうすればよいか。
ということをいっているのではない。これが明治100年の現実であると言っている。今後の日本人の課題としては、この人類史上稀有の一枚張りの大衆社会(むろんそれは世界に誇るにたる)を混乱から救い、秩序を確立し、秩序美をつくり、それを精神にまで高め、かつて江戸期の日本人がついに見事な美的精神像を創り上げたと同様の努力と作業をしてゆくべきであろう。
,サンケイ新聞,昭和43年1月3日,新聞,,家族,司馬遼太郎,,家族について,歴史